地方行政・概要
一般的に地方公共団体(地方政府)とは、国から独立した地位と権能を与えられた法人で、住民の直接選挙に基づく地方立法機関と地方行政執行機関によって、住民の利益に資する地方行政が運営されています。さらに財産管理権・行政執行権とともに、法律の範囲内における条例制定権を有しています。しかし、現在のところラオスにはこうした地方政府は存在せず、国家公務員の身分を有する知事や郡長等によって「中央政府による地方行政」が実施されているのが現状です。
現行のラオスにおける地方行政区分「州・特別市・郡・村」は、1991年に制定された憲法の第62〜64条に定められています。特別市とは自主管理権を付与されていることを意味するのではなく、州と同格の地位を有するという意味であり、州及び特別市は管内に存在する郡を、郡は管内に存在する全ての村を監督下に置いています。また憲法制定以前には、郡と村の間に準郡という行政単位が存在しましたが1991年憲法により廃止されました。
1997年現在における地方行政単位の数は、州が16、特別市1(ビエンチャン特別市)、特別区1(サイソンブーン特別区)、郡が139、村が11,047。郡及び村の新設・廃止については見直しが頻繁に行われているようであり、毎年その数値に変動が見られます。 |
地方行政・変遷
現政権成立以前(〜1975年)
長年の民族解放運動にかかる戦争と内紛のために、国家経済・行政機能が最も弱体化したこの時期の地方行政は、王国政府下の1947年憲法にその根拠を有していました。行政単位として既に州・特別市・郡が設置されて、王がそれぞれの長を任免する権限を有していました。最も基礎的な行政単位であった村は、住民の直接投票によって選出された村長が5年の任期でその管理を任されており、村長を補佐する機関としてやはり住民の直接投票により選出された委員で構成される村評議会がありました。この村と郡の間の行政単位として準郡が置かれており、準郡評議会評議員は各村の代表で構成されていました。当時は内務省が地方行政にかかる業務を所管していましたが、学校やヘルスセンターといった専門分野における地方行政業務は中央各省の管轄とされていました。但し、これは王国政府の支配下にあった地域の地方行政で、解放勢力(パテト・ラオ)の支配下にあった地域の地方行政は、独自の制度や手続によって運営されていました。
現政権成立〜新経済メカニズム(NEM)の導入(1975〜1986年)
1975年に成立した現政権によって、従来の1947年憲法や法律、制度は全て廃止され、党大会の「決議」が憲法や法律の代わりとして法制面の空白を埋めていました。
社会主義路線を嫌った西側諸国の援助を打ち切り、タイの国境封鎖による深刻な経済危機に直面して、知識層の国外大量流出による人材不足に悩みつつも、国家は荒廃した国土の建て直しと中央計画経済制度の導入、銀行や主要産業にかかる国有企業の設立を開始しました。計画経済のもと中央政府や州政府によって価格統制や賃金統制がなされ、州間における交易と人の移動は原則的に禁止され、ラオス通商公社とその州支社の管理下に置かれました。
当時の国家構造は、ラオス人民革命党と行政執行機関である政府と議事機関である最高人民評議会で構成されており、地方行政単位であった州・郡・準郡の各レベルごとに中央と同様の組織が置かれていました。住民は人民評議会(地方議事機関)評議員を直接投票により選出し、その評議員が各レベルの行政委員会(地方行政執行機関)委員を選出しました。行政委員会には各レベルの党委員会書記長が長として就任し、この時期の地方政府が形成されていました。
州政府には財政面における自主管理権が与えられ、党幹部であった州知事は直接首相と交渉をもつ権限を有していました。州政府の財源は国庫からの交付金と、州政府下に配置された国有企業の利益で構成されていましたが、州予算の大部分が国有企業の設立と維持にのみ費やされ、道路や通信といった基盤整備への支出は据え置かれていました。
新経済メカニズム(NEM)の導入〜新憲法成立(1986〜1991年)
計画経済の導入により国民の生活水準の向上を目指した政府の努力にも関わらず、農業生産高は落ち込み、国内では経済不安が増大しました。1986年3月、第4期党大会はチンタナカーン・マイ(新思考)政策を唱え、「新経済メカニズム(NEM)」の導入を採択して、中央計画経済から市場原理経済への方針転換を宣言しました。中央政府による価格統制が廃止され、交易が自由化されるとともにラオス通商公社も解体されました。ラオス中央銀行の中央管理機能と商業機能の分離や、1988年外国投資法の制定など、市場経済への移行準備は急速に進められました。
こうした動きは地方行政制度にも影響を及ぼしました。計画経済導入に際し中央による管理体制が効果的に機能しなかった反省から、市場経済導入に際しては地方の管理体制強化に重点が置かれました。外資プロジェクトと国家利益にかかる業務を除いて、州政府にはほぼ全面的な自主管理権が与えられ、それぞれ管轄区域内の社会経済開発に取り組むこととされました。国庫交付金は廃止されましたが、代わりに州税・郡税の徴収権限が全面的に州知事に委譲され、州政府の配下に置かれた国有企業の経常利益も引き続き州政府の歳入として組み入れられました。州政府は独自に業務を展開し、中央の各省はそれを指導監督する権限を失いました。州知事は職員の雇用や給与の決定といった人事管理の面においても全面的な自主管理権を有していました。またラオス中央銀行が各州に設置していた地方銀行が州政府の管理下に置かれたため、知事はその頭取を任免する権限を獲得して、地方銀行は中央銀行から完全に独立した形で州政府や州政府管理下にある国有企業に対して独自の融資政策を実施しました。
このような地方放任政策は、期待されていたような市場経済の発展をもたらすどころか、逆に国家歳入の大幅な減少を招きました。ビエンチャン州やチャムパサック州、サワンナケート州といった裕福な州は税収のほとんどを州レベルで確保してしまい、同様に自主管理権を与えられた国有企業も国庫への利潤税の支払いや新たな社会開発投資を行う代わりに、職員の賃上げを実施して自己利益の確保を図りました。収入源が枯渇していく中で、中央政府は自らの経常支出に加え、財政的に窮状にある州への補助金を工面しなければならず、その財源は中央銀行の融資に大きく依存するところとなりました。つまりこの時期のラオスは、地方行政にかかる法体系と強力な監視機能が整備されないままに、高度な自主管理権を備えた地方政府の集合体であったと言えます。州間における行政の業務内容は不均衡を極め、国全土にわたって行政の質は低下して行きました。州予算は州政府の配下に置かれた国有企業の新設と維持に投入され、社会経済開発の要であった社会基盤整備にはほとんど未着手の状態でした。
こうした地方放任政策による弊害を踏まえて、1991年3月の第4回党大会は、国家機構における中央管理体制を再構築する方針を打ち出しました。1991年8月15日に公布された憲法はこの方針を如実に成文化しており、中央政府には全行政分野における業務内容とその執行機関を指導監督する権限が与えられました。各地方レベルにおける人民評議会及び行政委員会は廃止されて、首相は州知事及び特別市市長を指導監督する権限を獲得し、知事・特別市市長・郡長には憲法及び法律を遵守するとともに上位機関によって下された命令を確実に実行する責務が課されることとなりました。 |
1991年憲法による地方行政単位の定義
1991年憲法は、各地方行政単位の長として、州に知事、特別市に市長、郡に郡長、村に村長を置き、またそれを補佐する職として、副知事、副市長、副郡長、副村長を置くと規定しています。その任免権限については、知事及び市長の任免は首相の提案に基いて大統領が行い、郡長の任命は知事及び市長の提案に基づいて首相が行うこととされています。
憲法で新たに定められた知事、市長、郡長の任務及び権限は以下のとおりです。 |
憲法及び法律を確実に実施すること、上位機関によって下された決定や命令を確実に履行すること |
その権限の範囲に属する全ての行政レベル及びその業務を指導監督すること |
同等、あるいは下位の行政レベルにおける決定が法律又は規則に反すると認めるときは、その執行停止・取消しを行うこと |
法律の定めるところにより、その権限の範囲において、国民が行う提案や陳情、不服申し立てを審査し、解決を行うこと |
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また村長についても、国の法律及び決定、命令を確実に履行するとともに、村における平和と治安を維持し、村のあらゆる分野における基盤の強化を図ることとされています。
なお権力分散による政治的混乱を避けるため、各地方行政単位の長は中央の国家組織の長同様に各地方レベルの党委員会の書記長を兼ねています。特に州知事についてはほぼ全員が政治機構の中枢をなすとされるラオス人民革命党中央委員会委員に名を連ねており、党の幹部として首相と単独で交渉をもつ権限を有しています。 |
地方行政組織
中央政府による地方行政は州レベルと郡レベルの二層までであり、国家公務員の地位が与えられるのも郡レベルの職員までとされています。村レベルについては特別法が適用されています。
実際ラオスの中央政府による地方行政は2種類の命令系統により運営されています。一つは首相の指導監督下に置かれている州知事、市長、郡長事務所と党組織、大衆組織から構成される地方政治事務所であり、もう一つは中央の省及び省と同格の組織の指導監督下に置かれているそれぞれの地方出先事務所です。教育や医療の実施、道路や潅瀧施設の整備といった実際の事業にかかる業務を担当するのは省及び省と同格の組織の地方出先機関で、そうした事業の計画・実施に際し、党の方針や地域のニーズを反映させる調整の役割を担うのが地方政治事務所です。また地方政治事務所は、党や中央政府によって発布された法律や命令の地域への普及、必要な場合の住民動員といった業務も行っています。 |
地方政治事務所地方政治事務所
各州・市・郡の地方政治事務所は、州知事・市長・郡長事務所をはじめ、党組織人事委員会、党査問委員会、党情宣研修委員会といった一連の地方党組織と、ラオス国家建設戦線、ラオス女性同盟、ラオス革命青年同盟、ラオス労働組合連合といった大衆組織の地方事務所の8事務所からなっています。
各地方政治事務所は以下の業務を担っています。 |
住民及び下位機関から提出される要望・意見への対応 |
下位機関から提出される事業計画・予算要求・決算報告の調整と上位機関への提出 |
各地方レベル及びその下位機関における組織・人事管理と上位機関への提出 |
上位機関によって下された命令や政策の住民及び下位機関への周知とその実施管理 |
各地方レベルにおける省及び省と同格の組織の出先事務所との、その人事、財務、事業に関する調整 |
国家事業や各地方レベル開発事業への住民の動員 |
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省及び省と同格の組織の地方出先機関
中央の省及び省と同格の組織により州と郡に地方出先事務所が設置され、さらにその下に学校やヘルス・センターが運営されています。
各地方出先事務所は省組織の一部として本省の監督下に置かれ、その人事管理や業務実施には上位機関の承認が必要であるとされていますが、その前に各地方行政単位の長に協議を行ってその承認を得ることとされています。そのため各地方政治事務所はこの段階で、省地方出先事務所の事業計画・予算策定・事業実施と、党組織や大衆組織を通じ把握している地方の開発必要性及び中央の政治方針との調整を行うこととなります。双方の合意に至らない案件については、それぞれの立場の意見を付して首相府へ送付され、その判断を仰ぐこととされています。 |
地方財政
新憲法公布の数日後に発布された首相令第68号(1991年8月28日)により、財政・予算・公庫の中央集中管理原則が次のとおり規定され、地方財政も中央管理によるものとされました。これを受けて1992年に初めて中央と地方全17州の歳入・歳出を盛り込んだ国家予算が国民議会を通過しました。1993年に国庫が創設され、1994年7月に国家予算法が制定されました。
こうした国家財政の中央集中管理体制の実施により、税の徴収が州に任されていた時期に比べ国庫歳入は大幅に増加しました。中央政府はそれを国民議会で議決された国家予算に基づいて各地方へと分配して、国家戦略優先課題にかかる事業実施の確保や、州間の行政業務の平準化を図っています。 |
国家財政の管理及び予算・経理にかかる政策や規則の発布は、中央政府及び大蔵省のみに付された権限であること |
予算支出計画は法律によって承認されなければならず、中央及び地方の機関はいかなる収入をも国家予算への計上なしに費用の相殺にあててはならないこと |
収入の徴収及び支出を計画し、それを確保する権限は大蔵省に付されていること |
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村組織
1993年7月5日に発布された首相令第102号により、ラオスでは伝統的に基礎行政単位であった村組織についての明確な定義がなされました。村の成立要件は世帯数20以上又は人口100人以上とされ、村の境界は知事の承認をもって郡長が決定することとされています。
村組織は、村長及び副村長、経済、治安、社会文化の各種委員会と、村党委員会、大衆組織村支所で構成されています。村内の住民は10〜15世帯ごとに区分けされ、各区毎に村長によって任命された区長がおかれており、主に区内の治安維持を担当しています。
村長は住民の直接選挙の結果に基づいて知事又は市長により任命され、任期は2年です。候補者の資格審査など、村長選挙に対しては郡が責任を負っています。
村長立候補資格は「21歳以上60歳以下のラオス国民であること、犯罪歴がないこと、その村に2年以上居住していること、国家公務員でないこと、健康であること」とされ、その他にも「党や国家に対して忠実であること、住民の模範となりその信頼と友情を得られること、統率力を備え住民動員等の技術に長けていること、ラオ語の読み書きができること」が判断基準として定められています。
村長の主な権限及び任務は、 |
村会議の招集とその議長への就任 |
村内の治安の維持、争い事の仲裁 |
政府政策の村内普及と住民教育 |
郡長への業務定期報告 |
国家事業や村開発事業への住民動員 |
村開発計画の策定と上位機関への提出 |
村内の社会経済活動の監視 |
家族台帳の保管と関連証明書(出生、婚姻、死亡)の発行 |
村内の公共利益に資する村規則の発布 |
住民の要望等の上位機関への伝達 |
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とされています。
また、国家公務員の地位が与えられるのは郡レベルの職員までですが、国家公務員でない村長にも中央政府から年間手当が支給されています。
村会議は少なくとも月1回の頻度で召集され、村長以下、副村長、各種委員会委員、党代表、大衆組織代表、各区長が一同に集い、村内の公共の問題を審議するとともに、村長への提言・助言を行っています。また政策普及等を目的に全世帯の長を召集する村民会議が3ヶ月に1回開かれています。必要に応じて村長は村会議、村民会議を臨時招集する権限を有しています。
村長の補佐機関として置かれている副村長と経済、治安、社会文化の各種委員会委員は、村会議の承認を得て村長が指名することとされています。 |
地方行政基盤の再整備
1991年憲法の制定を機に、ラオスでは中央管理体制に基づく地方行政制度の整備が進められてきました。新制度の実施を推進しつつ同時にその成果の査定が行われ、現状に即さず、正しく機能しない制度についてはさらに見直しが進められています。
1991年憲法で定められている地方行政の中央管理原則は一定の成果をあげたものの、一方では地方の多様な開発必要性に対応できない中央管理行政の限界も露呈しており、人口の希薄な地方部にはより小規模な地方行政単位を設置して地方の要求の把握とその連絡調整に努めるとともに、市場経済路線が軌道にのり経済力を増している都市部にはより権限委譲された大規模な地方行政単位を構築しようとする動きも見られます。
中央集権制に支えられながら機能的な国家行政基盤が確立されつつあるラオスでも、ようやく他国にみられるような地方への権限委譲の動きが生まれてきたと言えるでしょう。それらが目指すのは、1980年代の中央統制力が皆無であった地方政府の単なる集合社会ではありません。こうした地方行政基盤の再整備が進むにつれ、憲法の地方行政にかかる規定の見直しの必要性が高まっています。 |
地方行政に関する法制面整備の動き
中央政府及び最も基礎的な行政単位である村に関しては、憲法の規定を補完する法律が整備されてきたものの、州や特別市、郡に関して特別な規定は整備されていなかったため、その組織・権能については地方行政の大枠を定める憲法第62条から64条までの規定と中央政府の例に頼るほかありませんでした。
そのため、知事や市長、郡長の任期や権能、中央政府と地方機関の関係及びそれぞれの役割の定義、各地方行政単位の見直しとその成立要件の定義を盛り込んだ「地方行政に関する法律」の策定が現在進められています。 |
準郡制の復活
1991年憲法による準郡の廃止は、都市部では行政層数の整理による業務の簡素化につながりましたが、通信・交通環境に問題を抱える地方部では全ての村を管轄しなければならなくなった郡に大きな負担がかかることとなりました。特に地方部の村は都市部に比べ小規模で散在する傾向にあるだけでなく、そのほとんどが財源・人材の乏しさゆえに自ら開発計画を策定し実施するまでに至っていないため、依然として上位機関による指導と援助を必要としていたからです。かつては各準郡が10〜15の村を所管して、草の根の調整は準郡長によって行われており、郡はこうした十数の準郡を通じて村の管理を行っていました。
こうした状況を打開するため、必要な地域への準郡制の再導入と郡の分割が検討されています。 |
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参考資料と引用:日本国外務省 (財)自治体国際化協会 |